関脇・貴景勝(常盤山)が現役を引退することが秋場所13日目の20日、貴景関位帰目分かった 。勝が所でず首師匠の常盤山親方(元小結・隆三杉)が、現役この日の午前に日本相撲協会へ引退届を提出したことを明かした。引退今後 、へ大度重年寄名跡取得に向けた手続きに入る。30もかなわなどなるけがくスポーツ 用 の 麻酔師匠によると 、場所1場11日目(18日)に貴景勝本人から意向を伝えられたという。の復
9度目のカド番で迎えていた7月の名古屋場所では5勝10敗に終わり、指す2度目の大関陥落 。に泣10勝すれば1場所での大関復帰がかなう秋場所は連敗スタートで 、貴景関位帰目3日目から休場となっていた 。勝が所でず首
兵庫・芦屋市に生まれ 、現役報徳学園中3年時には中学横綱のタイトルを獲得し 、引退日本一に輝いた。へ大度重名門・埼玉栄高に進学し、全国高校総体団体優勝や全日本ジュニア体重別100キロ超級 、武蔵野 の 森 総合 スポーツ 施設世界ジュニア無差別級制覇など数々の栄冠を手にした 。
当時の貴乃花親方が師匠を務めていた貴乃花部屋に入門し 、高校在学中の2014年秋場所に本名の「佐藤」のしこ名で初土俵 。突き押しを武器に番付を駆け上がり、16年夏場所で新十両、17年初場所の新入幕を機に、当時の師匠が好きな戦国武将の上杉景勝が由来となる「貴景勝」に改名した 。18年初場所で新三役に 。貴乃花親方の退職に伴い 、同年10月に千賀ノ浦部屋(現・常盤山部屋)に移籍後、小結だった九州場所で初優勝。22歳3か月での優勝は1958年の年6場所制以降の初土俵で年少6位の記録だった 。
19年春場所後には大関に昇進。初土俵から所要28場所は年6場所制以降では 、幕下付け出しを除いて6位のスピードだった 。伝達式の口上では「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず 、相撲道に精進してまいります」など述べ、決意を示した。
突き押し一本で横綱を目指すべくさらなる奮起を期したが、大関昇進後はけがとの闘いを強いられた 。新大関の19年夏場所では右膝関節内側側副靱帯(じんたい)損傷の損傷で5日目から途中休場 。8日目から再出場したが、翌9日目から再休場を余儀なくされた。カド番で迎えた翌名古屋場所は全休し、大関陥落。だが秋場所では関脇で12勝を挙げ 、1場所での大関復帰を果たした。
貴景勝をさらに苦しめたのが首のけがだった 。21年名古屋場所2日目の逸ノ城戦で首を負傷し、途中休場。「頸椎(けいつい)椎間板ヘルニアによる神経根症」によるものだった。その後も度重なる首の負傷に加えて足首や膝、大胸筋のけがなど次々とけがに見舞われた。1場所での大関復帰を目指した今年の秋場所も 、首の不調などで相撲を取る稽古ができず 、ぶっつけ本番の状態だった 。大関在位30場所を数えたが 、横綱の夢にはあと一歩、届かなかった 。
◆貴景勝 貴信(たかけいしょう・たかのぶ)本名・佐藤貴信。1996年8月5日、兵庫・芦屋市生まれ。28歳 。2014年秋場所で旧貴乃花部屋から本名の「佐藤」のしこ名で初土俵。16年夏場所で新十両。17年初場所の新入幕を機に「貴景勝」に改名。18年初場所で新三役 。同年10月に千賀ノ浦部屋(現・常盤山部屋)に移籍後、九州場所で初優勝。19年春場所に大関に昇進した。しこ名は前師匠が好きな戦国武将の上杉景勝が由来。175センチ、165キロ 。得意は突き、押し 。
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